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2010年10月7日 1日目
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この2ヶ月前に全員死亡の墜落事故を起こした、AGNI AIRの第2便(AM8:30出発予定)でルクラに向かう。カナダ製ツイン・オッター19人乗り。天候は申し分ないはずなのに、出発時刻は9:00と表示され、乗り込んでからも滑走路待ちで時間を費やし、結局10:00にテイクオフ。国内線待合室はひとつで、空港スタッフが行き先とエアライン名を叫んで出発を知らせるのだけれど、聞き取りづらく気をもむ。 搭乗後すぐ、客室乗務員がアメと耳栓用の脱脂綿を配る。客室乗務員の機内での仕事はこれだけ。飛び立って20分ほど経過すると、左手にヒマラヤの山並みが遠望される。でもむしろ、眼下のカトマンズの街の様子や、郊外の農村地帯の景観のほうが新鮮だった。飛行機は思ったほど揺れない。 長さ約300mのルクラの滑走路。片方の端は断崖になっている。カトマンズを飛び立ち、きっかり30分で着陸した。空港出口では、何十人ものポーターが、金網に越しに仕事にありつこうと待ち構えていた。一瞬ひるんだが、ぼくたちのような貧乏個人トレッカーに声をかけてくることはなく、ほっとする。 まずはナマステ・ロッジに立ち寄り、復路カトマンズへの航空券を預けるとともに、リコンファームを依頼。当然前夜は、ここに泊まることになる。 ツアーグループ帯同のポーター、奥の集落に生活物資を届けるポーター、建築現場に資材を運ぶポーター。とにかく街道上にポーター多し。すれ違うときなどは、当然彼らが優先。彼らは仕事、私たちは遊びなのだから。正面にあるのは、チベット仏教のお経が彫られたマニ石。集落の入り口でよく見かける。 こちらはご存知、マニ車。回すことで、お経を読んだとみなされる。ただしどこのマニ車もそうだけど、滑りのいい軸ではないのだから、足早に歩きながら触ってもちゃんと回るものではない。いくら回すだけでいいといっても、それなりにヤル気は必要。ちなみに写真の欧米人二人組は、私たちと同じ個人トレッカーだけれど、数は少ない。トレッカーの約9割は、ガイド・ポーターを従えたグループトレッカー。 今日の目的地、パクディンの吊り橋。どの橋も狭く、人がすれ違うのがやっと。ヤクを引き連れたポーターが橋上にいたら当然道を譲る。のどかな光景。 吊り橋をわたったところにあるサンライズ・ロッジに宿泊。大きめの宿で設備とかいいかなと思ったのだけれど、それほどでもなかった。また団体さんが多く、食事がでてくるまで時間がかかったりして、もう少しこじんまりしたところが良かったかなと思った。夕方から小雨が降った。 ←前のページへ 次のページへ→ |
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