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2010年10月8日 2日目
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宿には悪いけれど、朝食をとらずに6:30出発。昨日、この宿で昼食とったからまあいいでしょう。朝食は、2時間ほど歩いたところのモンジョでとった。モンジョには、サガルマータ・ナショナル・パークのゲートがある(下の写真)。入域料ひとり1000Rsを支払う。またTIMS(トレッキング許可証)の提示を求められる。 ゲートを過ぎると、ひたすら急な登り坂が続く。ナムチェ坂と呼ばれているとか。重い荷物をかついだポーターもしんどそう。明日はナムチェで週に一度の市があるので、ナムチェに近づくほどポーターの数が増えてくる。荷物を背負わされたゾッキョ(牛とヤクの交雑種)も。 12:30ナムチェ到着。アップダウンがけっこうあったし、パクディンからナムチェまで意外と時間がかかった。メインストリートのまっただ中にあるタワ・ロッジに投宿。陽が高いうちに、中庭で洗濯をする。貯めた雨水なので十分には洗えない。そこで近くの共同洗濯場に行って洗った。ここはいつも豊富な水がわきだしている。 カトマンズで、トラベラーズチェックをけっこう現金化してきた。カラパタール・ゴーキョを経て再びナムチェに戻ってくるまで、その現金でもたせるつもりだった。一日ひとりあたり1000Rs(約1200円)以内で済むだろうという計算。でもトレッキング初日の昨日、1000Rsをあっさり超えてしまった。標高が上がるにつれて物価は上がるのに。そこで、ナムチェの両替屋で追加のマネー・チェンジ。レートは、カトマンズのそれとそんなに変わらず、ほっとする。(昨日泊まったパクディンのロッジは、食事料金が他よりかなり高かったことが、あとで判明) ナムチェは土産物、トレッキング用品店を中心に、お店がいっぱい。普通の食料品店もあるし、ベーカリーやインターネットカフェもある。ぶらぶら街歩きが楽しい。でも地面には注意。ゾッキョのウンコがそこかしこにごろごろ。 |
2010年10月9日 3日目
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今日は高度に体を慣らす、高度順応日。のんびりと過ごす。まずは週に一度のバザールをのぞく。食材と生活雑貨がほとんど。トレッカーが買うようなものはほとんどない。 下の写真は、ナムチェの西にそびえるコンデ(6086m)。ナムチェに意外と近く、大きく見え、迫力がある。 サブザックに最低限の荷物を入れ、ナムチェの北にあるクムジュン村を訪れる。ナムチェより300m標高が高く、意図的に体に負荷をかける。クムジュン村を訪れるのは(或いは途中のエベレストビューホテルまで)、定番の高度順応方法であり、クムジュンへの道は朝早くからトレッカーで大にぎわい。 標高3000mから4500mあたりのいたるところで、この花が見られた。リンドウの仲間と思われる。最初は新鮮味もあったが、あまりにもどこにもあるので、そのうち見向きもしなくなる。ちなみに欧米人は、最初から野の花なんかに全く興味を示さない。 クムジュン村。広い畑や放牧されたヤクが目立つ。建物の屋根や窓枠、ドアは、緑で統一。ロッジでない普通の民家も、かなり大きい。実は、エベレスト街道でロッジを営んでいるのはほとんどクムジュン村の人で、だからこの村は裕福なんだということを後で知った。 エベレストに初登頂したヒラリー。彼が創設したサー・エドモンド・ヒラリー・スクールがクムジュン村にある。この日は休校日のようだったが、グランドで村人の視力検査が行われていた。やんややんやの大騒ぎで、楽しそう。もっとも、順番待ちの人があんなに検査板を見ていたら、表示を憶えてしまって検査の意味がないじゃん、と思ってしまうのだけれど。それにしても、みんなきっと恐ろしく視力がいいに違いない。 ヒラリー・スクールの広いグランドの脇を通り、ナムチェに戻る。働き盛りの人間は、所有する別の場所のロッジへ行っているからだろうか、トップシーズンのクムジュン村はとても静かだった。 宿に戻り、トモさんだけ思い切ってシャワーを浴びる。300Rs也。驚いたことにガス式。たっぷり温かいお湯がでる。そういえば昨日、プロパンガスのボンベをかついだポーターを見かけた気がする。 ←前のページへ 次のページへ→ |
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