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2010年 10月13日 7日目
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カラ・パタールをめざす場合、ほとんどの人が泊まるのがロブチェ。なのにロッジの数が少ない。確実に部屋を確保するため、朝食をとらず、6:30にディンボチェを出発した。 まずは村の裏手の、チョルテンが建っているところまで登る。そこからは台地上のほぼ水平な道を北上する。寒いので早く日差しが欲しい。 最高の天気。サングラスをかける。目前にトゥクラが見えてきた。ロッジが1軒あり、テラスでティータイム。奥のとがった山は、たぶんAwi Peak(5245m) トゥクラを過ぎると、こんな坂がしばらく続く。ここでダウンする人もけっこういるみたい。そうならないよう、ビスタ〜リで歩く。 坂を登りきった峠の左手に、エベレストで命を落としたシェルパの墓が並んでいた。 ロブチェまであと少し。ゆるい登りがあとしばらく続く。それにしても、空の青が宇宙の色に近づいてきた。紫外線がきついので、日焼けに注意しなければ。 12:00前にロブチェに到着。しかしこのあと、全ロッジ満室という驚愕の事実を知ることになる。満室なのは今日だけでもなさそうだ。とるべき行動は、ゴラクシェプに進むか、トゥクラに戻るか、ふたつにひとつ。ゴラクシェプまで進んでも部屋が確保できる保証はないこと、もし泊まれたとしても、すでに体調不良のトモさんが5000m超の場所にとどまるのはリスクが高いこと、ゴラクシェクでも満室でトゥクラへ引き返すことになった場合、トゥクラ到着が遅くなり、トゥクラも満室になっている可能性があるなどの懸念から、すぐトゥクラに下ることにした。 このあとが大変だった。トゥクラのロッジで昼食を済ませた直後、トモさんの体調が急変。極度の胃痛、吐き気を訴えてベッドに臥せ、呼吸も荒くなり、明らかに高山病の症状を呈している。悪寒で体も震えている。レスキューヘリ要請が頭にちらつく。しばらく寝袋にくるまって保温につとめ、深呼吸を意識的に行うと、少しましになってきたようだ。夕刻、明日以降のカラ・パタール行きをどうするか協議する。トモさんの低酸素適応力は5000mが限界に近く、ロブチェでの宿泊がままならない今の状況では危険と判断し、カラ・パタール行きは断念。そのかわり、カラ・パタールよりは成功率が高いゴーキョ・ピークに注力しよう、という結論に至った。そんなこんなで大変だった1日。この日とった写真は極端に少ない。 ←前のページへ 次のページへ→ |
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