糸我峠・鹿打坂峠・白上山

和歌山2009年12月13日日帰り
行程[行動時間]
JR紀伊宮原駅〜得生寺〜糸我王子跡〜糸我峠〜鹿打坂峠〜白上山〜栖原〜JR湯浅駅[5時間]
メンバー:トモさん(報告者)、キュウさん

万葉の里を訪ねる 〜part5〜

前日は海南駅から紀伊宮原駅歩いたので本日はその先の湯浅まで歩きます。前半は 熊野古道をたどり、途中からは万葉人が歩いた鹿打坂を通って栖原へでるつもり、だったのですが・・・

湯浅湾

白上山から眺めた湯浅湾。


本日はキュウさんも参加。JR紀伊宮原駅より8時半ごろ歩き始めます。有田川にかかる宮原橋を渡り、得生寺へ。ここに万葉歌碑があります。

「足代過ぎて糸我の山の桜花 散らずあらなむ帰りくるまで」

足代(あて)というのが有田の古名だそうです。糸我の山がこの近くの雲雀山のことといわれています。

民家のあいだを歩き糸我稲荷神社を過ぎると「すく熊の道」(すく、とはまっすぐのこと)とかかれた古い道標がたっています。すぐ近くには雲雀山への登山口があります。雲雀山に登って糸我峠へ行く道もあるのですが今日は万葉人のとおった鹿打坂を歩いてみたいのでまっすぐ進みます。

スタートして30分ほどで糸我王子跡。「左くまの 右すはら」の古い道標があります。ここから熊野古道をはずれて右の栖原方向へ。道標はまったくないのでガイドブックのおおざっぱな地図を見ながら道を探します。

みかん山の農道をずっと登って行くとどうやら行き止まりに。近くにいた農作業中の人に鹿打坂峠にでる道を聞いてみると知らないようで熊野古道を教えてくれます。しかたがないのでまた別の農道に入ってみるとまたまた行き止まり。別の人がいたのできいてみると栖原に行く道なら確かにこれだと教えてくれました。もう一度別の農道を試してみるけれど尾根に近づくにつれどんどんブッシュに入っていきます。

とにかくこの尾根に登れば良いはずと馬力のあるキュウさんが一人薮の中へ道を探しに行き、私は一人昨日のみかん山で道をまちがえたことを思い出していました。農道は道が複雑に枝わかれしていてぐるぐるまわってどこへも行き着かずおそろしい。

そうこうしているうちにキュウさんが戻ってきて行って行けなくはないが鹿打坂かどうかわからないのであまり無理をしていっても意味がないのではないか・・・というわけで1時間近く彷徨したあげく熊野古道へもどることにしました。

熊野古道にもどれば道ははっきりしています。みかん山を登ってすぐに糸我峠。雲雀山への道と熊野古道と栖原への道にわかれています。栖原にむけて山道を歩いて行きます。

鹿打坂峠に到着。鹿打坂の入口に標識がでています。少し下りてみましたがすぐにブッシュで進めそうもありません。またもやキュウさんが一人ブッシュの中突き進んで行きました。峠で一人しばし休憩。キュウさんが戻ってきて言うことにはどうも登りで入り込んだブッシュの場所と近そうだとのこと。どちらにしても今は誰も通る人はいないようです。

尾根道を歩いて白上へ向かいます。誰にも会いませんがときどき小さな道標があるので迷うことはありません。白上山を越え明恵上人東白上遺跡に着く。こちらはあまり景色がよくみえないのですぐに西白上遺跡のほうへ向かいます。

西白上遺跡は絶景です。お天気も良く、海も空もきれいです。眼下に見えるのは白神の磯と呼ばれた栖原海岸です。ここから万葉人たちは船出していったのでしょうか。

「湯羅の崎 潮干にけらし白神の磯の浦廻をあへて漕ぐなり」

小さな島々のむこうに遠く白崎が見えます。

「白崎は幸くあり待て 大船に ま梶しじ貫き またかへり見む」

施無畏寺をぬけて栖原海岸へと下りて行きます。白神の磯の万葉歌碑があります。 このあたりは夕日がきれいなスポットらしいです。残念ながら今日は夕日はありませんがきれいな景色です。

海岸沿いに歩き山田川を渡り、湯浅の町に入ります。お醤油で有名な湯浅は古い町並みが大切にされているようです。観光客らしき人たちもちらほら。JR湯浅駅に1時すぎ到着。

紀伊宮原駅から湯浅駅までの熊野古道の地図はこちらで
 >>>和歌山県街道マップ

道標

道標。「すく熊の道」


雲雀山

雲雀山。


糸我王子跡

糸我王子跡の道標。


みかん山

みかん山。行けども行けども鹿打坂はなく。


熊野古道

熊野古道はよく整備されている。


糸我峠

糸我峠。


鹿打坂峠

鹿打坂峠。


みかん山

陽当たりの良い山の斜面はずーっと上までみかん畑。


栖原海岸

栖原海岸。


施無畏寺

施無畏寺と湯浅湾の島々と白崎。


白上山

栖原から眺めた白上山。


湯浅の町

湯浅の町。


Kyuki Woodcut site

久木朋子の木版画