藤白峠・拝ノ峠
■和歌山■2009年12月12日■日帰り 万葉の里を訪ねる 〜part4〜 |
万葉の時代、紀の国への行幸が何度かあって、宮廷の人々は大和から紀ノ川筋を下り、海岸沿いを南下して紀の湯(白浜)へ行ったそうです。その旅の途中詠まれた歌が万葉集にたくさん残っています。今回は熊野古道のいくつかの王子跡をたどりつつ海南駅から紀伊宮原駅までの間を歩きます。 |
御所の芝からの眺め。手前から黒江湾、和歌浦、加太。 |
今日はきゅうさんは仕事。仕事ついでにJR和歌山駅まで車で送ってもらい、そこからは一人でJRに乗り海南駅まで向かいます。15分程で到着。 8時半頃出発。駅前には万葉歌碑が二つ。 熊野古道と書かれたものが軒先に下がっている古い民家や商店が並ぶ通りを歩いていきます。 一応、一の鳥居跡まで戻って再出発。 藤白神社に到着。熊野九十九王子のうちのひとつ、藤白王子跡です。こちらの神社の隣にひっそりと有馬皇子神社があります。有馬皇子は天皇が紀の湯行幸の留守の間に曽我赤兄の口ぐるまにのり謀反をくわだてることとなり、中大兄皇子側の策略にかかってしまいました。紀の湯に呼び出され尋問を受けた後、戻る途中追手によってこの少し先の藤白坂で殺されてしまいました。 神社を出てすぐ、藤白坂の登り口に有馬皇子のお墓があります。有間皇子は紀の湯から無事に戻ってこられるようにと岩代で祈りをこめて松の枝を結び歌を詠んでいます。 藤白坂の登り口から峠まで一丁ごとに18体の地蔵が立てられています。古いものは形もあいまいな小さなお地蔵様です。みかん畑の中をずんずん登っていくと、道は細い山道になり、竹薮の中に入ります。ときどき海も見えます。なかなかきつい坂で、冬だというのにもう汗だくです。 45分ほどで藤白峠に到着。ここが塔下王子跡です。少し道をそれて登って行くと御所の芝という景観の良い場所にでます。曇り空ながら淡路島から形見の浦と呼ばれた加太、妹が島の友ヶ島までよく見えます。 みかん山の農道をぐんぐん降りて行きます。お天気が良くなってきて冬とは思えない暑さです。さすが南国和歌山、陽射しがちがいます。遠く続くみかん山がきれいだなあと見とれているうちについつい標識を見過ごし、延々、農道をまちがえて歩き30分近くロス。みかん山は農道がたくさん枝わかれしているので標識がなければさっぱりわからなくなります。 なんとか橘本王子跡の阿弥陀寺まで降りてきて、熊野古道から少しそれて福勝寺へ向かいます。ここには裏見の滝があってちょうど紅葉がきれいです。11時半なのでここでお弁当を食べてゆっくりしていたのだけれどだれにも会わない。静かです。古道にもどって加茂川を渡ります。 裏見の滝。 町の中、市坪川沿いを歩いて所坂王子跡のある橘本神社に到着。ここには今のみかんの原種である橘の木が祀られています。さらに15分程歩くと一壺王子跡の山路王子神社です。ここには土俵があり赤ん坊が相撲をとる泣き相撲が行われることで有名です。 一壺王子跡。山路王子神社の土俵。 道はみかん山の中へぐんぐん登りはじめます。遠く山の尾根には風力発電の風車が並んでいます。会うのはみかんの収穫をしている人ぐらいで、ときどき熊野古道の標識に出会うとホッとします。沓掛から拝ノ峠まで急坂が続きます。 拝ノ峠付近はほんとうに誰もいない寂しい山の中。一人とぼとぼ歩いていたら万葉歌碑が見えてきて木々の間に下津の海が見えました。この下津のあたりにかつて石上乙麻呂が土佐に流されるときに船出した大崎があります。その時に詠んだ歌。 |
海南駅前の万葉歌碑。 鈴木屋敷。 祓戸王子跡。暗い竹薮の中を歩いて行くのはちょっとこわい。 藤白神社。 有馬皇子神社。 有馬皇子の墓。 丁石地蔵。一丁 藤白坂。 藤白塔下王子。 御所の芝からの眺め。淡路島までよくみえる。 名草山と黒江湾。 みかん山の中を歩く。きれいな景色だなあと思ってたら道をまちがえた。 加茂川沿いの町並みが見える。あそこに下りて行かなければいけないのに。 橘本王子跡の阿弥陀寺。 加茂川を渡って古い町並みの中を歩く。 所坂王子跡の橘本神社。 みかん山の上には風車が並んでいる。 沓掛。寂しい山の中へ入って行く。 拝の峠の万葉歌碑。 |
拝ノ峠から眺めた下津の海。 |
15分ほど歩くと蕪坂塔下王子跡。ちょうど1時半、和歌山駅での待ち合わせ時間にまだまだ余裕があるのでゆっくりすることにします。このあたりの蕪坂でこの歌が詠まれたらしい。 みかん畑の中を有田川にむかってぐんぐん下って行きます。太刀の宮や爪書地蔵を過ぎて山口王子跡に到着。ここにはベンチがたくさんあるのでちょっと休憩。 海南駅から紀伊宮原駅までの熊野古道の地図はこちらで |
蕪坂塔下王子跡の万葉歌碑。 みかん山を下りて行く。下には有田川が見える。 山口王子跡 |