藤白峠・拝ノ峠

和歌山2009年12月12日日帰り
行程[行動時間]
JR海南駅〜祓戸王子跡〜藤白神社〜有間皇子の墓〜藤白峠〜福勝寺〜橘本神社〜山路王子神社〜拝ノ峠〜蕪坂王子跡〜山口王子跡〜JR紀伊宮原駅[6時間]
メンバー:トモさん(報告者)

万葉の里を訪ねる 〜part4〜

万葉の時代、紀の国への行幸が何度かあって、宮廷の人々は大和から紀ノ川筋を下り、海岸沿いを南下して紀の湯(白浜)へ行ったそうです。その旅の途中詠まれた歌が万葉集にたくさん残っています。今回は熊野古道のいくつかの王子跡をたどりつつ海南駅から紀伊宮原駅までの間を歩きます。

黒江湾

御所の芝からの眺め。手前から黒江湾、和歌浦、加太。


今日はきゅうさんは仕事。仕事ついでにJR和歌山駅まで車で送ってもらい、そこからは一人でJRに乗り海南駅まで向かいます。15分程で到着。

8時半頃出発。駅前には万葉歌碑が二つ。

「紫の名高の浦の靡き藻の こころは妹によりにしものを」

「紀伊の海の名高の浦に寄する波 音高きかも 逢はぬ子ゆえに」

昔このあたりは名高の浦と呼ばれ駅のあたりまで海岸だったそうですが、現在この辺りの海岸はすっかり工場地帯になっていて近くに海は見えません。

熊野古道と書かれたものが軒先に下がっている古い民家や商店が並ぶ通りを歩いていきます。

ところがぶらぶら歩いているとさっそく道をはずしてしまったらしく、一の鳥居をとばしていきなり鈴木屋敷に出てしまいました。しかたがないので鈴木屋敷から熊野古道を後戻りして祓戸王子跡へむかう。薄暗い竹薮の中を入って行くと祓戸王子跡の石碑。かつて熊野詣の人々の遥拝所であり休憩所であった九十九王子の一つです。

一応、一の鳥居跡まで戻って再出発。

この跡もしばらく住宅の中を歩いていきます。軒先の熊野古道と書かれたちょうちんを見ながら歩けば今度はまちがえない。

藤白神社に到着。熊野九十九王子のうちのひとつ、藤白王子跡です。こちらの神社の隣にひっそりと有馬皇子神社があります。有馬皇子は天皇が紀の湯行幸の留守の間に曽我赤兄の口ぐるまにのり謀反をくわだてることとなり、中大兄皇子側の策略にかかってしまいました。紀の湯に呼び出され尋問を受けた後、戻る途中追手によってこの少し先の藤白坂で殺されてしまいました。

神社を出てすぐ、藤白坂の登り口に有馬皇子のお墓があります。有間皇子は紀の湯から無事に戻ってこられるようにと岩代で祈りをこめて松の枝を結び歌を詠んでいます。

「岩代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまたかへり見む」
「家にあれば笥に盛る飯を 草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」

ここでこの歌を思い浮かべるとことのほか胸にしみます。いつか岩代や紀の湯までも行ってみたいものです。

藤白坂の登り口から峠まで一丁ごとに18体の地蔵が立てられています。古いものは形もあいまいな小さなお地蔵様です。みかん畑の中をずんずん登っていくと、道は細い山道になり、竹薮の中に入ります。ときどき海も見えます。なかなかきつい坂で、冬だというのにもう汗だくです。

「藤白のみ坂を越ゆと 白妙のわが衣手は濡れにけるかも」

という作者不詳の歌も残されています。この坂を登りながら草露に濡れたのか、汗に濡れたのか、はたまた涙に濡れたのか。

45分ほどで藤白峠に到着。ここが塔下王子跡です。少し道をそれて登って行くと御所の芝という景観の良い場所にでます。曇り空ながら淡路島から形見の浦と呼ばれた加太、妹が島の友ヶ島までよく見えます。

「藻刈り舟 沖漕ぎ来らし妹が島 形見の浦に鶴翔る見ゆ」

その手前が和歌浦です。

「和の浦に潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る」

その横の小さな山が紀三井寺がある名草山です。

「名草山 言にしありけり 我が恋ふる千重の一重も慰めなくに」

目の前の工場に埋め尽くされた海が黒牛潟と呼ばれた黒江湾です。

「黒牛の海 くれないにほふ ももしきの大宮人しあさりすらしも」

まわりから和歌山弁が聞こえてきます。地元の人がたくさん登っているようです。一人で山に登るとよく話かけられるのですが、不安そうにみえるのかこちらから聞かなくてもいろいろ親切に教えてくれます。

みかん山の農道をぐんぐん降りて行きます。お天気が良くなってきて冬とは思えない暑さです。さすが南国和歌山、陽射しがちがいます。遠く続くみかん山がきれいだなあと見とれているうちについつい標識を見過ごし、延々、農道をまちがえて歩き30分近くロス。みかん山は農道がたくさん枝わかれしているので標識がなければさっぱりわからなくなります。

なんとか橘本王子跡の阿弥陀寺まで降りてきて、熊野古道から少しそれて福勝寺へ向かいます。ここには裏見の滝があってちょうど紅葉がきれいです。11時半なのでここでお弁当を食べてゆっくりしていたのだけれどだれにも会わない。静かです。古道にもどって加茂川を渡ります。

裏見の滝

裏見の滝。


町の中、市坪川沿いを歩いて所坂王子跡のある橘本神社に到着。ここには今のみかんの原種である橘の木が祀られています。さらに15分程歩くと一壺王子跡の山路王子神社です。ここには土俵があり赤ん坊が相撲をとる泣き相撲が行われることで有名です。

一壺王子跡

一壺王子跡。山路王子神社の土俵。



道はみかん山の中へぐんぐん登りはじめます。遠く山の尾根には風力発電の風車が並んでいます。会うのはみかんの収穫をしている人ぐらいで、ときどき熊野古道の標識に出会うとホッとします。沓掛から拝ノ峠まで急坂が続きます。

拝ノ峠付近はほんとうに誰もいない寂しい山の中。一人とぼとぼ歩いていたら万葉歌碑が見えてきて木々の間に下津の海が見えました。この下津のあたりにかつて石上乙麻呂が土佐に流されるときに船出した大崎があります。その時に詠んだ歌。

「大崎の神の小浜は狭けども 百船人も過ぐといはなくに」

そして小為手の山と詠まれたのがこの拝ノ峠のあたりの山のことだとか。

「安太へ行く小為手の山の真木の葉も 久しく見ねば蘿むしにけり」

海南駅

海南駅前の万葉歌碑。


鈴木屋敷

鈴木屋敷。


祓戸王子跡

祓戸王子跡。暗い竹薮の中を歩いて行くのはちょっとこわい。


藤白神社

藤白神社。


有馬皇子神社

有馬皇子神社。


有馬皇子の墓

有馬皇子の墓。


丁石地蔵

丁石地蔵。一丁


藤白坂

藤白坂。


藤白塔下

藤白塔下王子。


黒江湾

御所の芝からの眺め。淡路島までよくみえる。


黒江湾

名草山と黒江湾。


みかん山

みかん山の中を歩く。きれいな景色だなあと思ってたら道をまちがえた。


みかん山

加茂川沿いの町並みが見える。あそこに下りて行かなければいけないのに。


阿弥陀寺

橘本王子跡の阿弥陀寺。



下津町

加茂川を渡って古い町並みの中を歩く。


橘本神社

所坂王子跡の橘本神社。


風力発電

みかん山の上には風車が並んでいる。


沓掛

沓掛。寂しい山の中へ入って行く。


万葉歌碑

拝の峠の万葉歌碑。


下津

拝ノ峠から眺めた下津の海。


15分ほど歩くと蕪坂塔下王子跡。ちょうど1時半、和歌山駅での待ち合わせ時間にまだまだ余裕があるのでゆっくりすることにします。このあたりの蕪坂でこの歌が詠まれたらしい。

「紀伊の国の昔猟夫の鳴り矢もち 鹿取りなびけし坂の上にそある」

鏑矢(鳴り矢)で鹿を打ったので蕪坂と名付けられたのだとか。

みかん畑の中を有田川にむかってぐんぐん下って行きます。太刀の宮や爪書地蔵を過ぎて山口王子跡に到着。ここにはベンチがたくさんあるのでちょっと休憩。

ここからだんだん町中に入って、住宅や商店のあいだをぬけて行きます。最後の休憩場所、熊野古道ふれあい広場には本居宣長が有田川を詠んだ歌碑があります。小さな踏切をわたって熊野古道からそれて右に進むとJR紀伊宮原駅。2時45分到着。何度か道をまちがえたけど予定通り本日の万葉歩きは終了。ここからJRで和歌山駅まで帰る。

海南駅から紀伊宮原駅までの熊野古道の地図はこちらで
 >>>和歌山県街道マップ

蕪坂

蕪坂塔下王子跡の万葉歌碑。


有田川

みかん山を下りて行く。下には有田川が見える。


山口王子跡

山口王子跡


Kyuki Woodcut site

久木朋子の木版画