山辺の道

奈良2009年9月22日日帰り
行程[行動時間]
大神神社〜金屋〜海柘榴市〜初瀬川〜桜井駅〜(JR)〜天理駅〜布留川〜石上神社〜竹之内町〜衾田陵〜崇神天皇稜〜景行天皇稜〜穴師〜巻向川〜桧原神社〜大神神社[8時間]
メンバー:トモさん(報告者)、キュウさん

万葉の里を訪ねる 〜part2〜

山辺の道は三輪山南西麓から北の奈良市方面まで山裾をうねうねと続く、いにしえの道。今回は万葉集に登場する地名を多くふくむ、天理〜桜井間を歩いてみることにしました。

三輪山

「味酒三輪の山あをによし奈良の山の山の際にい隠るまで...」 初瀬川から眺めた三輪山。


朝8時、大神神社の無料駐車場に車を停めて大きな鳥居をくぐって大神神社へ。車で来る途中三輪山がよく見えていたのだけどここまで来ると逆に山は見えなくなってしまいました。大神神社は三輪山がご神体なので本殿はありません。狭井神社で入山料を払わなければ山へは登れません。巳の神杉を見て、狭井神社まで行っただけで山辺の道を歩いて南へ向かいます。

「味酒を三輪の祝(はふり)が斎ふ杉 手触れし罪か君に逢ひ難き」

山裾の畑の中を歩いてしばらく行くと金屋。金屋磯城瑞籬宮址に歌碑がある。

「磯城島の日本の国に 人二人ありとし思はば何か嘆かむ」

金屋磯城瑞籬宮址

金屋磯城瑞籬宮址。



古い石仏を見る。道端のお堂の格子の中をのぞきこみます。

古い町並みの中に入る。狭い路地を歩いているとそこに住む人たちの生活の気配がただよってきます。このあたりが昔、海柘榴市(つばいち)と呼ばれ、市がたって賑わったところ。かつて男女が恋の歌をかけあわせる歌垣がおこなわれていたそうな。民家の奥にひっそりとたたずむ海柘榴市観音で少し休憩。

「紫は灰さすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに逢へる子や誰れ」

海柘榴市観音

海柘榴市観音。


しばらくすると初瀬川(大和川)にでました。

「泊瀬川 流るる水脈(みを)の瀬を早み ゐで越す波の音の清けく」

川のほとりから南の方を眺めると忍坂山や万葉集中の倉椅山と考えられている音羽山が見えます。

「こもりくの泊瀬の山 青旗の忍坂の山は走出のよろしき山の出立のくはしき山ぞ あたらしき山の荒れまく惜しも」

「橋立ての倉椅山に立てる白雲見まく欲り 我がするなへに立てる白雲」

川岸の仏教伝来之地碑の前をとおり桜井駅のほうへ向かいます。橋を渡ったところから三輪山と神社の大きな鳥居が見えます。残念ながら写真には一緒に入りませんでしたが。

「三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなも隠さふべしや」

桜井駅からJR桜井線で天理へむかいます。15分ほどで天理駅に到着。

天理駅から商店街の中を歩いて石上神社のへ向かいます。天理教関係の建物や天理教グッズを売るお店を眺めながらおなかがすいたのであんパンを買う。

賑やかな町中を過ぎて布留川を渡るとぐっと山に近づいた感じがします。石上神社に到着。なぜか鶏がたくさんうろうろしています。

「石上(いそのかみ)布留の神杉 神さぶる 恋をも我れはさらにするかも」

石上神社から山辺の道を南にむかって歩いて行きます。山裾の畑や果樹園の中をすすみ、アップダウンのある舗装されていない山道を歩きます。永久寺跡を越えて歩き疲れたころに峠のお茶屋さんがあったのでベンチで休憩。

山辺の道

道々咲いている彼岸花やコスモスが
きれいでした。


しばらく畑やたんぼの中を歩いて行くと竹之内環濠集落に入る。ここやこの先の萱生町は周囲に濠をめぐらせて自己防衛した集落らしい。柿本人麻呂の弓月が岳の歌碑があったけれど、弓月が岳を含む巻向山がどのあたりなのかさっぱりわからない。

少し山辺の道をそれて衾田陵へ向かいます。このあたりが衾道になるようです。手白香皇女陵の後に山が見えます。これが引手の山と歌われている竜王山ではないでしょうか。

「衾道を引手の山に妹を置きて 山道を行けば生けりともなし」

このあたり彼岸花は満開だし柿やらみかんやらなっているしで本当に気持ちのよいところなので適当に座ってお昼のおにぎりを食べることにしました。

中山廃寺を過ぎると柿本人麻呂の衾道の歌碑がありました。姿のよい竜王山が見えます。

道をはずれて長岳寺へ。暑いし距離は長いし、結構アップダウンはあるしでこのころにはもうかなりクタクタ。まだやっと半分ぐらいなのに。山登りとはちがった疲労を感じます。

山辺の道にもどる。崇神天皇陵の横をぬけて歩いて行くと柿本人麻呂の弓月が岳の歌碑がありました。巻向山を探してみるけれどやっぱりよくわかりません。

「玉かぎる夕さり来れば猟人(さつひと)の 弓月が岳に霞たなびく」

ほとんど気づかないうちに景行天皇陵を過ぎて、のどかな田畑の中をうねうね歩いて行きます。時々地元の野菜や果物の無人販売があったり、休耕地にいろんな花が植えられていたり、地元の人たちがこの道を大事にしているのがうかがえます。巻向山のほうを眺めてみます。手前の穴師山と思われる小さな山と三輪山の間にちらっと見える峰が巻向山かと思われます。

山の方へと道を逸れ、穴師坐兵主神社へ向かいます。途中のベンチでさっきほとんどわからなかった景行天皇陵の全容が一望できます。ここで景色を眺めながらちょっと休憩。景行天皇纒向日代宮跡、相撲神社、穴師坐兵主神社へ。もとは弓月ヶ岳の頂上付近にあったものが今の地に合祀されたものだとか。また山辺の道へとひきかえします。このあたりから観光客がぐっと増えました。天理〜桜井間はちょっと長いので巻向〜桜井間を歩く人が多いのかもしれません。

大和の青垣という場所から奈良盆地の山々を眺めます。しばらくして巻向川を渡ります。柿本人麻呂の歌碑があります。山辺の道にはもっともっとたくさん歌碑がありますが全部みていません。有名作家の筆によるものもあり興味のあるかたには歌碑をたどって歩くのもおもしろいかもしれません。

「ぬばたまの夜さり来れば 巻向の川音高しも あらしかも疾き」
「痛足川 川波立ちぬ 巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし」

歌碑

棟方志功の筆による由槻が嶽の歌碑。
ちょっとおもしろい。


もう一度巻向山の方を見ます。手前の小さい山が穴師山でその奥にあるのが巻向山ではないでしょうか。

「巻向の痛足(あなし)の山に雲居つつ 雨は降れども濡れつつそ来し」
「あしひきの山川の瀬の響るなへに 弓月が岳に雲立ち渡る」

桧原神社へ。今は桧原といったかんじではないですが昔は桧林だったのでしょうか。

「行く川の過ぎにし人の手折らねば うらぶれ立てり三輪の桧原は」

玄賓庵を過ぎて細い石畳の道を歩いて行く。小さな狭井川を渡ります。すっかり疲れてヘトヘトだけどこれが最後と大美和の杜展望台へ登っていきます。天香具山、畝傍山、耳成山、二上山などなど一望できます。

あとは大神神社の駐車場へ。駐車場に着くとぽつぽつ雨が降り出してきました。おなかは空くし、足は痛いし、なにはともあれ本日は無事終了。ではなくついでにひとつ寄り道。 宇陀へ→

大神神社

大神神社。


巳の神杉

巳の神杉。


山辺の道

竹林や果樹に囲まれた山辺の道


金屋の石仏

金屋の石仏。


海柘榴市

海柘榴市跡周辺。


初瀬川

初瀬川から音羽山を眺める。


初瀬川

初瀬川から三輪山を眺める。


布留川

布留川。


石上神社

石上神社。


ニワトリ

数えきれないくらい鶏がうろうろ。


山辺の道

山辺の道。


環濠集落

環濠集落(萱生町)。


手白香皇女陵

手白香皇女陵。その後に見えるのが竜王山。たぶん。


歌碑

柿本人麻呂の歌碑。その後に竜王山。たぶん。


崇神天皇陵

崇神天皇陵。


歌碑

柿本人麻呂の歌碑。


穴師山

穴師山と奥に見えるのは巻向山か?


景行天皇陵

景行天皇陵。


穴師坐兵主神社

穴師坐兵主神社。


巻向川

巻向川。


穴師山

巻向川近くから。穴師山と巻向山か?


桧原神社

桧原神社。


玄賓庵

玄賓庵。


大和三山

天香具山、畝傍山、耳成山。


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久木朋子の木版画